大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(う)992号 判決 1972年9月20日

主文

原判決中、その第二項のうち「本件公訴事実第三のうち、同第二の交通事故について被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた点につき、被告人は無罪」とある部分を除くその余の部分を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

原判決中破棄した以外の部分に関する本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官および弁護人がそれぞれ差し出した各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

検察官の控訴趣意について

所論は、原判決は、被告人が業務上の過失により自車を他車に衝突させた後、現場において相手方自動車の運転者たる長谷川孝平らと事故について話し合い中、逃走しようと決意し、右長谷川が助手席ドアー附近につかまつて制止するのを振り切つて車を発進加速し、自車につかまつていた同人を路上に転倒させ、よつて加療約二ケ月間の傷害を負わせたと認定し、しかも右の事実は道路交通法七二条一項にいう「車両等の交通による人の死傷」があつたときに当たるとしながら、右のように故意に人を死傷させようとした者に対して被害者を救護するなどの措置を講ずることを一般に期待することは困難であるから、被告人に対しては被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講ずる義務および警察官に対し法令の定める事項を直ちに報告する義務の違反を問うことができないと解しているが、右は、道路交通法七二条一項の解釈適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

一  そこで、まず、原判示第二の長谷川孝平の負傷が道路交通法七二条一項にいう「車両等の交通による人の死傷」に該当するかどうかを考えてみるのに、被告人は原判示のように佐藤則子を過つて負傷させたのちその場から自動車を運転して逃走しようと考え、そのために自動車を発進加速させた過程においてその行為により長谷川孝平を原判示のように路上に転倒負傷させたものであつて、逃走するためとはいえ、右のように自動車が道路上を他の場所に移動する目的で走行することが「車両等の交通」にあたることは疑いのないところであるから、その際被告人に傷害の故意があつたかどうかにかかわりなく、これによる長谷川の負傷が同項にいう「車両等の交通による人の死傷」に該当することは明らかだといわなければならない。

二  次に、本件のように行為者に傷害の故意のあつた場合、これに対し、傷害罪のほかいわゆる救護義務に関する同条一項前段の規定違反の責をも問うことができるかどうかを検討するのに、この規定が負傷者の保護ばかりでなく道路における危険防止その他交通の安全と円滑とを図ることをも目的としたものであること、そしてその観点だけからすれば、検察官のいうように、死傷の原因となつた行為が故意によるものか過失によるものかを問うことなく一律にいわゆる救護義務を課する必要があるともいえるであろう。しかしながら、たとえ客観的にはそのような必要があるにしても、いやしくも人に対し法律上の義務を課し、しかもこれを怠つた者に対して刑罰を科するについては、他方において行為者の側に存する事情をも考慮すべきことは当然であるから、行為者に特別の事情の存する場合にこれを考慮して解釈上右の規定の適用を認めないことを妨げるものではない。ところで、いま、その死傷の原因となつた行為につき運転者に殺人または傷害の故意のあつた場合を考えてみると、行為者は自己の行為によつて人の死亡または負傷の結果の発生することを意図しあるいはその発生を容認しつつあえてその行為に出たものである。このような場合、行為者がその行為の直後において引き続きその意図ないし容認を依然として保持し、それに対応して生じた結果を放置しておくのは、当初から故意があつたことの自然の成り行きであるから、その負傷者をそのまま放置して救護の措置を講じなかつたからといつて、そのことに対する刑罰的評価はその前段階の殺傷行為に対する刑罰的評価が当然予想していたところであるとみるべきで、さらにこれに対し重ねて刑罰を加えるのは相当でなく、いいかえれば、前者は後者に吸収されると解するのが相当である。そして、いま問題となつている道路交通法七二条一項前段所定の義務のうち負傷者の救護を命じている部分は、まさしく当該負傷者の身体保護のためのものであるから、右に述べた理はこの義務についても妥当する。したがつて、故意により負傷を生ぜしめた者に対しては、原則としてこの救護義務の規定違反を理由として処罰することはできないと解すべきであり、原判決のこの点に関する判断は、そのかぎりにおいては正しいといわねばならない。

もつとも、さらによく考えてみると、右に述べたように、殺人または傷害の故意のあつた行為者に救護義務の規定の適用が否定されるのは、その者が当該結果の発生を意図しまたは容認していたことによるのである。それゆえ、その行為から生ずる結果が当初意図または容認したところを越えてより重くなるおそれがあるような場合には、その重い結果についてその発生を防止する義務をその者に負わせることを妨げるものではない。すなわち、これによれば、初めから殺人の故意はもつて人を傷害した場合には救護義務を認める余地はないが、傷害の故意をもつてしたにすぎない者については、その傷害により死の危険が発生した場合には、死の結果発生防止のため当該負傷者を救護する義務をその者に負わせても、当該傷害行為が故意をもつて行なわれたこととなんら矛盾するものではないから、そのかぎりにおいては道路交通法の救護義務の適用があると解すべきである。

ところで、本件についてこれをみるに、被告人が傷害の未必の故意をもつて被害者長谷川孝平に与えた傷害は後頭部打撲を含む全治までに約五〇日間は要するかなり重いものであるが、しかしこれを救護しなければ死に至る危険のある状態であつたことは十分明らかであつたとは認め難いところであり、また、道路における危険防止等の必要な措置についても、はたしてその必要があつたかどうかは証拠上明らかでないので、その点の義務違反も確認することができない。そうしてみると、前に述べたところにかんがみれば、本件の場合被告人に長谷川孝平に対する傷害事故に関し「負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講」ずる義務違反の罪の証明があつたものとはとうていいい難く、その成立を否定した原判決は、その点に関するかぎり正当であつたといわざるをえない。

なお、付言すれば、前述したところからすると、傷害の故意をもつて人を負傷させたときでも、その現に生じた負傷の程度いかんによつてはこれを救護しなければならない義務を負う場合があるわけであり、その傷害の程度はこれをよく観察しなければ判明しないのが通常である。したがつて、行為者としてはそのような場合少なくとも負傷の程度を確認する義務はあり、そのためには道路交通法七二条一項前段中の「直ちに車両等の運転を停止」する義務を負うのではないか、という問題がないわけではない。しかながら、本件の訴因をみるのに「被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた」とあるだけで、右の不停止の点は訴因とされていないと認められるので、この問題にはこれ以上立ち入らないこととする。

これを要するに、いわゆる救護義務違反の点に関する検察官の論旨は理由なきに帰する。

三  次に、進んで同条一項後段のいわゆる報告義務の点について考えてみるに、この点についての第一の問題は、故意に人を傷害した者に報告義務を課するのは憲法三八条一項のいわゆる自己負罪の特権を侵害することにならないかということである。しかし、道路交通法七二条一項後段は当該事故発生の日時、場所、死傷者の数、負傷者の負傷の程度、損壊した物および損壊の程度、講じた措置などの報告を求めているだけで、いやしくも事故発生者が刑事責任を問われるおそれのある事項の報告を求めていないのであるから、自己の犯罪事実そのものの申告を義務づけるという意味において憲法三八条一項に違反するものではないし(昭和三七年五月二日最高裁判所大法廷判決〔刑集一六巻五号四九五頁〕および同四五年七月二八日同裁判所第三小法廷判決〔刑集二四巻七号五六九頁〕参照)、また、その報告が間接に犯罪発覚の端緒を与えるおそれがあることは否定しえないにしても、本来公共の施設である道路を走行し歩行者や他の車両等に重大な危害を及ぼす危険を伴う自動車運転という行為をみずからあえてする者としては、社会に対しこれに相応する義務を負担するのは当然であるから、自己負罪の特権右の程度の制限を受けることがあつてもやむをえないとしなければならない。それゆえ、道路交通法七二条一項前段は憲法三八条一項に違反するものとはいえず、そのことは当該交通事故が過失によつて生じたか故意行為によつて生じたかにより異なるところはないので、この点は被告人の報告義務を否定する理由とはならない。

次に考えられるのは、過失により人身事故を発生させた者に比し、故意によりこれを生じさせた者はその場から逃走しようとするのがより人情の自然であるから、これに対し報告義務違反の責を重ねて問うのは酷であり、むしろその違反に対する制裁はその前提となつた傷害罪に対する処罰の中に吸収されると解すべきではないか、ということである。しかしながら、同じことは程度の差こそあれ過失による事故発生の場合にもいえることで、そこに質的な相違があるとまでは考えられないし、かりに逃走が人情の自然だとしてみても、報告はなんらかの方法でこれをすれば足りるのであるから、逃走と報告とが矛盾する行為であるともいえない。また、前述のように自動車運転者が自己の行為のもつ危険性に相応する義務を負担しなければならないとの考えからすれば、この場合報告義務違反を別に処罰の対象とすることが酷に過ぎるということもできない。

そうみると、被告人に対し長谷川孝平を負傷させた交通事故との関係で報告義務違反を認めなかつた原判決は失当であることになるから、論旨はその限りにおいて理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて弁護人の量刑不当の控訴趣意に対して判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決二項のうち「本件公訴事実第三のうち、同第二の交通事故について被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた点につき、被告人は無罪」とある部分を除き、原判決のその余の部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに自ら次のように判決する。

(罪となるべき事実)

原判示事実の次に、「第四、前記第二記載の日時と場所で前記のように長谷川孝平を負傷させる交通事故があつたのに、右事故発生の日時、場所など法律に定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた。」を加える。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の原判示所為のうち第一の点は刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による)、第二の点は同法二〇四条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による)、第三の一の点は道路交通法七二条一項前段、一一七条、第三の二および第四の点は各同法七二条一項後段、一一九条一項一〇号に該当するので、所定刑のうち各懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるので、同法四七条本文、一〇条により最も重い原判示第二の傷害罪の懲役刑につき併合加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、(イ)被告人は原判示のごとく交通整理の行なわれていない交差点を直進しようとした際、対向の信号が赤色の点滅を表示していたのに、一時停止もせず、左右の確認もしないで進行したために自車を相手車に衝突させ、その結果相手車に同乗していた佐藤則子に対し加療約一五日間の傷害を負わせ、(ロ)さらにその場から自車を発進させて逃走しようとしたが、これを阻止するため被告人車の助手席付近に手をかけていた相手車の運転者たる長谷川孝平が転倒負傷するかも知れないと考えたにもかかわらず、あえて発進して長谷川を路上に転倒させて全治約五〇日間の傷害を負わせ、(ハ)前記佐藤則子に対する救護などの義務を怠り、また佐藤則子、長谷川孝平に関する各人身事故に対する所定の報告を怠つたのであるから、犯情は軽くないことに加えて、被告人には道路交通法違反罪による罰金三回の前科のあることを勘案すると、被被告人側に有利な諸事情を斟酌しても、原判決と同一の懲役八月に処するを相当とせざるをえない。

なお、原判決のうち、長谷川孝平に対する人身事故について同人を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた点につき無罪を言渡した部分は相当であり、これを非難する検察官の控訴趣意は理由がないことすでに説示したとおりであるから、刑事訴訟法三九六条によりこの部分に関する控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(中野次雄 藤野英一 粕谷俊治)

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